Coffee Column - The world history




「産業革命」は人類史上、その後の人々の生活にもっとも劇的な変化をもたらした出来事です。 「産業革命」は、たんに生産技術の進歩というだけでなく、その後の社会構造までも変化させてしまったからです。 大量生産、交通手段の発達、資本家と労働者という新たな階級の登場……。 もちろん、こうした変化は一夜のうちに起こったわけではなく、18世紀後半の数十年から1世紀以上をかけて徐々に進行していったものです。 しかし、そのインパクトからいえば、それはまさに「革命」だったといえるでしょう。

綿花 「産業革命」の震源地はイギリスでした。 そもそものきっかけは、綿製品の大流行。 当時のイギリスの綿布は、東インド会社がインドから持ち込んだものでしたが、肌触りが柔らかく、軽く、暖かい綿製品は、 人々の圧倒的な支持を受けました。 ところが、このブームに危機感を抱いた既存の毛織物業者は政府を動かし、綿布の輸入を禁止させてしまったのです。 毛織物工業は当時のイギリスの主要産業であり、政府もこの事態を黙って見過ごすことはできなかったのでしょう。
 しかし、人々は綿製品を強く欲していました。 そこでこれをビジネスチャンスと捉えた業者たちは、原料である綿花を輸入し、綿布を自らの手で生産しはじめました。 政府の禁輸措置は製品に限ったもので、原料を海外領から輸入し、国内で製品化することに問題はなかったのです。
ジェームズ・ワット蒸気機関 より早く、より多くの綿布を生産するため、織機や紡績機に改良が加えられていきました。 1773年のジョン・ケイによる「飛び杼(とびひ)」にはじまり、 1764年にはハーグリーブスが複数の糸を同時に紡ぐことのできる「ジェニー紡績機」を、1769年にはアークライトが「水力紡績機」を、 1785年にはカートライトが「力織機」を発明。 また、この間にはジェームズ・ワットによって高効率の蒸気機関が発明され、 やがてこれが織機や紡績機の動力として用いられるようになっていきました。
 こうした機械工業化の流れは繊維工業だけには止まりませんでした。 というのも、大量生産が可能になれば、原料や製品を運搬する手段にも技術革新が求められます。 するとこんどは機械自体の材料を製造する製鉄業にもそれが必要となり、 さらにこれらの動力源を生産する鉱業にも増産のための機械化が求められるといった具合です。 こうして機械工業化の波はあらゆる産業分野へと波及していきました。 そしてこの流れがやがて他国にも及んでいったのです。

ロバート・ナピアーサイフォン  コーヒーの世界にもちょうどこの時代に新しい波が起こっています。 抽出法の進化です。 それ以前のコーヒーの抽出法は、基本的に粉を煮出して上澄みを飲む、いわゆる「トルココーヒー」だけでしたが、 1800年頃フランスで、ド・ベロワがドリップ式のポットが発明。 たくさんの小孔があいた鉄製のドリッパーにコーヒーの粉を入れて熱湯を注ぐと、下のポットにコーヒーが滴り落ちる仕組みの器具です。 このタイプのポットは本国ではすぐに廃れてしまいましたが、 これが当時フランスの植民地であったベトナムへ渡り、今日のベトナム式コーヒーの抽出器具「フィンカフェ」の原型になったと考えられています。
 また、1819年にはフランスでローランがパーコレーターの特許を取得しています。 この装置は熱湯が管を通って上昇し、コーヒーの粉の上に降りかかって抽出をおこなうというもの。 イギリスやドイツでも特許が与えられ、広く普及していきました。 ことにアウトドアで便利だったため、西部開拓時代のアメリカで広く普及し、その後コーヒー抽出法の主流の座を占めるに至りました。
 1840年にはサイフォンの原型が発明されました。 気圧差を利用したこの抽出器具を考案したのはスコットランドの造船技師、ロバート・ナピアー。 ただ、ナピアー式のサイフォンは私たちの知っているサイフォンとはちょっと違っていて、加熱するフラスコと抽出漕が左右に並んでいました。 これがその後フランスで改良され、現在のようなグラスバルーンを上下にふたつ連結した形になっていきます。
 ドリップ式、パーコレーター、サイフォンの誕生。 もちろん、これらは「産業革命」と直接の関係はありません。 しかし、これらの新しい抽出法の登場は、コーヒーの味を劇的に変化させることになりました。 世界史の上で「産業革命」が起こったのと同じ時代、コーヒー史の上では「抽出革命」が起こっていたのです。